日々つれづれ2

はてなダイアリーから引っ越しさせました

ゲームメディアのシンポジウム

突然ですがゲームメディアのシンポジウムで司会をすることになりました。DiGRA JAPANの2月度公開講座で、2/18(木)の午後6時半から。場所はおなじみ東京大学の工学部新2号館です。タイトルは「メディアの変遷とゲームジャーナリズムの変化」(キリッ)。ゲームメディアはおろか、ゲーム業界、そして出版業界自体がいろいろと激動な状況の中で、ある意味では非常にタイムリーな話題ではないかと思います。ま、ここらでいっぺん、まとめてみましょうって感じでしょうか。
内容は2部構成で、はじめに80年代、90年代、00年代にわけて3人の講演者に当時の状況を語ってもらい、その後でパネルディスカッションを行います。80年代は元BEEP編集長の川口さん、90年代は元「ザ・プレイステーション」「ハイパープレイステーション」編集で、現在はスパイクでプロデューサーをされている渡辺さん。00年代はGAME WATCH編集長の船津さんです。パネルディスカッションでは僕もパネラーとして出席します。詳細はこちらでどうぞ。
https://www.digrajapan.org/modules/eguide/event.php?eid=44
もともとこのイベントは、1月に行われたIGDA日本の新年会を兼ねたSIG-INDIEの懇親会会場で、DiGRA JAPANの研究員でもあるフロムソフトウェアの三宅さんからお声がけいただいて、実現することになったもの。それで、せっかくなので時系列に従って状況を整理してみようと。であれば、日本初のゲーム雑誌であるBEEPから始めようと。んでもって90年代はプレイステーションが欠かせないだろうと。00年代はウェブメディアだよね、となりました。
んでもって先日打ち合わせがあったんですが、いやー、けっこう忘れてるモンですね。話しているだけで、すごく面白かったですよ。僕がゲームメディアで仕事をするようになったのが94年なので、80年代の頃の話はホントに新鮮でしたし、90年代もほら、僕等はゲームメディアの網走番外地だったからW んでもってウェブメディア以降は僕も一介のライターにすぎないので、いろいろ勉強になりました。
ぶっちゃけ、ゲームメディアはアイドル雑誌や音楽雑誌、映画雑誌なんかと同じ「コンテンツ情報誌」なんですが、その中でも結構珍しいジャンルなんじゃないかと思います。というのも、コンテンツを作っている側とメディアに担い手の距離が非常に近い。スポーツ新聞の記者がプロ野球の選手になったり、引退して評論家になることはあっても、編集やライターに回ることはないですよね。またコンテンツの歴史を振り返るとき、コンテンツ自体の歴史はあっても、メディアの側にまで論が及ぶことは少ない。昔のパソコン雑誌なんてプログラムリストがついていて、コンテンツの流通の側面も担っていたわけですから。そうした意味でも面白いジャンルだと思います。
ちなみに、すでに何度も「なんでゲーム批評の話がないんだ」と突っ込まれてるんですが、いきなり重箱の隅をつつくような話をしても、仕方がないだろうと思ったわけでして、はいW もし今回が好評で、第2回目があるようなら、そのときはぜひ僕も講演者の一人としていろいろ話をしたいと思います。そんなわけで、みなさんいらしてください〜。



CEDEC06で行ったラウンドテーブル「ゲーム雑誌/メディアはどこへ向かうのか?」の資料がネットに上がったままになっていたのを、ころっと忘れていました。
http://www.slideshare.net/kono3478/game-media-1761903
この当時と今とを比べて一番違うのがゲームブログの興隆ですね。当時も2ちゃんねるがソースの人気まとめサイトがありましたが、最近では独自ソースによる取材を行っているところも増えていて、もはや立派なブログジャーナリズムですね。GIGAZINEとかガジェット通信とかKotaku JAPANとか・・・。元電撃PS編集長の倉西さんが、はてなでiPhoneアプリのニュースサイトを更新されているのにもビックリしました。この辺がスライドにもあった「ゲームライター2.0」なのかもしれません。
ちなみにwikiによるとGIGAZINEが本格的にブログサイトになったのは2006年なんですね。ラウンドテーブルも2006年で、思わぬ偶然にビックリ。
んでもって当時のラウンドテーブルでは、意外や意外、パブリッシャーやディベロッパーの参加が多かったのに驚かされました。皆さんウェブでの情報発信のコツに模索されていたような。。。今後ますます重要になっていきますよね。特にオンラインゲームとか。

三崎漁港

せっかく横浜に住んでいるのだから、いろいろ神奈川県を回ってみようということで、G11を持って三崎漁港に行ってきました。

三浦半島の最南端にある城ヶ島灯台

海岸には岩のりがびっしり。

ちなみにこれ、つまんでそのまま食べられるんです。塩味が効いて美味w

んでもって、霞の向こうには富士山が見えました。

山口市はオサレ?

いささか古い話ですけど、11月の連休に父親の一周忌がありまして、帰省がてら山口市まで足を伸ばしてみました。山口市といえば県庁所在地で最も人口が少なく、地価も安いことで有名だったりしますw 山口大の皆様には恐縮ですが、僕も学生時代に1回だけ行ったのみでしたw

ちょうど山口天神祭が行われていて、大名行列が商店街を練り歩いていました。これを見物するのと、あと湯田温泉に一泊するのが今回の目的。

市中央を横切る一の坂川(後河原)の遊歩道。瑠璃光寺近くまで続いています。天気が良くて良い散策日和でした。

んでもって地方都市らしく、こんな昭和な看板の店がドーンと構えていたりするんですが・・・
一方で意外とビックリしたのが、オサレ気な店が多かったこと。駅前の目抜き通りを歩くと、こんな雑貨屋とか、

こんなブティックがいくつも軒を構えていて、ビックリ。女子大生や若いOLさんなどが買っていくんでしょうねえ。。。やっぱり西の京といわれるだけあって、「着道楽」な土地柄なんでしょうか?
いやー、周南市(旧徳山市)の人間からすると、山口市って「アウトオブ眼中」だったんですが、銀南街などがシャッター通りと化している中で、この山口市の活気ぶりはビックリ。すらばらしいですね。

あと激しく心ゆさぶられたのが、このカメラ。思い切って買えば良かったかなあ。。。

ずいぶん写りが変わる?

picasaでアップしている手作り弁当の写真ですが、最初はデジタル一眼レフD80に、ズームレンズのAF-S DX Zoom-Nikkor ED 18-135mm F3.5-5.6G(IF)をつけ、スピードライトSB-800を真上から炊いて撮ってました。

こんな感じ。窓際の編み籠の上に置いてバシャッ。外光だけだと光線が偏って綺麗に写らないので、ストロボを炊いてます。自動調光してくれるので便利(2008年10月16日)

それが段々とめんどくさくなって、食卓の上でコンパクトデジカメのLumix DMC-FX01で撮るようになります。朝は忙しいのでw(2009年7月1日)。

それが、ちょっとだけD80に戻った時期がありました。単焦点レンズのAF-S DX NIKKOR 35mm F1.8Gを買ったので。これもストロボと組みあわせての使用です。でも籠の上で撮るマメさはなかったみたいw(2009年9月8日)

んでもってやっぱり面倒なので、再びコンパクトデジカメのμ30 digitalになりました。この機種の良いところは、バッテリーを入れっぱなしにしていても、自然放電しにくいこと。Lumixなんて1日入れっぱなしにするだけで、もう電池切れになったりするので。。。(2009年10月29日)
でもってオリジナルだと差が歴然なんですが、レタッチソフトで軽く修正するだけで、けっこうわからなくなるモンですねw でも一番最初が一番綺麗っぽい。とりあえず編み籠の上で撮れということでしょうかw
ちなみに一番下の写真、ご飯がねずみ色に濁ってますけど、これはスーパーなどで売ってる雑穀パック(二十一穀米)を混ぜて炊いたから。このご飯が続くと、たまに外食した時、白米が目にまぶしいですね。おまけに甘みが違うw 昔の人が銀シャリを有り難がったのも良くわかります。でも、あまりに色が悪いので、最近は日和って十穀米を混ぜておりますw 

そろそろ紅葉

今日の関東地方は雨模様で冷え込んでますけど、まだまだ11月というのに暖かい日が続きますね。ちょっと前に多摩センター前を歩いていたら、だんだん木々が色づき始めていました。G11で撮影。

早朝の富士山

そして翌日は快晴。朝食後に同じスポットに行ってみました。今度はD80+VR18-200mm(先代)の組みあわせ。こちらだと、写真がより大きく写りますね。200mmだけどAPS-Cなので35mm版だと300mm相当。ぐぐっと対象物が拡大されて、結構な迫力です。でも大気の影響で、すっきり、くっきりとはいかないのが残念。



これは近所の路上から。電線がうっとうしいですが。。。

ついでに境木地蔵尊にお参り。


猫にも遭遇しました。この辺、一戸建てが多いので犬猫遭遇率高し!