日々つれづれ2

はてなダイアリーから引っ越しさせました

Panasonic Lumix DMC-FX9 & FX01

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Lumix DMC-FX9とFX01はセットでご紹介です。前回述べたように2004年から2008年までLumix FZ-20を使っていたんですが、例によって発表会でスライドを撮影するのがしんどくて、だんだんサブカメラが欲しくなったんですね。

ただ、Caplio PR30の失敗が長く残っていて、コンパクトとはいえども、ある程度の性能のカメラが欲しいなと考えていました。その一方でいわゆる名刺サイズのコンデジが急速に進化してきまして、そろそろいいだろうと。たしか有楽町のソフマップ(いま無印良品が入っているところ)でDMC-FX9の中古品を買った気がします。付属品が欠品で安くなっていたんですが、店側のミスで付属品が完備しており、思わぬ得をしました。

使ってみてわかりましたが、Caplio PR30とは比べものにならないくらいスペックが向上していて、普段使いするぶんにはまったく支障がなかったですね。相変わらず電源を入れ直すとズームレンズが広角側に戻っちゃうのは難点でしたが、電源を入れてから撮影できるようになるまでの時間が短かったので、そんなにストレスに感じませんでした。それよりなにより、広角側で人物と背景をパンフォーカスで撮ったとき、今までにないシャープな写りを見せてくれて、ビックリしました。それまで人物といえば判で押したように望遠でバックをぼかして撮ってきたのに、これ以降は広角を多用するようになりました。

このカメラもFZ-20とセットで世界中に持っていきましたね……操作系がFZ-20と同じだったのもわかりやすくて良かったですね。当時柏に住んでいて、よく江戸川や利根川をサイクリングしていたので、その合間にスナップをするのにも最適でした。ただ、普通に撮っている時はきれいな絵が出るのに、露出補正をするとなぜか絵がマゼンダっぽく濁ってしまう感じがして、そこだけがイマイチな点でした。フォトレタッチソフトで修正しても、なぜか濁りがとれなくて、思いっきり修正して遊んだりもしたものです。 

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とはいえ、総じて良いカメラであることに替わりはありませんでしたが、残念ながら2006年のE3取材で現地に忘れてきて、そのまんまになってしまいました。仕方がないので買ったのが後継機のDMC-FX01です。ソフマップで買ったのはこっちだったかもしれません。というより、それくらい思い入れがないというか、空気のような存在のコンデジでした。裏を返せば、それが名機の条件なのかもしれません。

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LUMIX DMC-FZ20

前々回で書いたように2000年にCOOLPIX 950を購入し、撮影をデジタル化しました。COOLPIX 950を選んだ理由は、記者発表会などでよく見かけるようになっていたからです。そんな風に自分のカメラ選びは保守的です。周りがよく使っているカメラがいいカメラと信じています。そしてCOOLPIX 950の性能に限界を感じ始めた頃、周りでよく見かけるようになったのがLUMIX DMC-FZ10でした。ここでもジッと周りを見定め、まだ早い、まだ早いと自分を言い聞かせながら、改訂版のFZ20を購入しました。

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FZ-20を選んだ理由は35mmフィルム換算で36mm-426mmtという強力な望遠機能と手振れ防止機能、そして開放絞り値が全域でF2.8という明るいレンズを搭載していたからです。ゲームの発表会イベントというのは基本的に薄暗い中で行われるので、この3要素が非常に重要になります。欲を言えば広角側が28mmまであれば良かったのですが、そこは妥協できる範囲でした。実際これ以降、自分のカメラ選びは基本的に全て、この三要素を追求して来たといって過言ではありません。そしてこのパッケージングをいち早く提案したパナソニックは、当時非常にいいセンスをしていました。この流れはその後ネオ一眼として再評価されることになります。

 FZ-20はCOOLPIX 950に負けじ劣らず、世界中に持っていったカメラでした。2004年から2008年まで使い、最後はカバーの一部が壊れて中が覗けるまでになったほどです。その時の使用感をまとめたレビュー記事もアップされています。この記事を書いた半年後に念願のデジタル一眼レフを買ってしまったのでアレですが、スペックに表しにくい良さが凝縮されたカメラでした。

japan.cnet.com

一番良かったのは「モノの適正な大きさ」を再確認させてくれたことです。両手でしっかり握って顔の前で構えてファインダーを覗いて撮影し、首からかけて重すぎず、カバンにも入れやすい。それが自分の求めるカメラ像だとすれば、DMC-FZ20はまさにそれを体現していました。カメラにとって、一つの基準となるサイズではないでしょうか。実際、その後にミラーレス一眼が旋風を巻き起こしたのも、一つにはサイズが適切だったからだと思います。その上、DMC-FZ20は望遠でも広角でもレンズの長さが変わらない点が特徴でした。実にいい設計でした。

またストロボのオンオフが背面の十字ボタンに割り当てられており、ファインダーを覗きながら手軽に切り替えられた点も秀逸でした。後でデジタル一眼レフを購入して、これができないことを知り、驚いたものです(ストロボ側の電源ボタンをオンオフするしかない)。ゲームの発表会では発表者をストロボを炊いて撮影しつつ、瞬時にストロボをオフにしてモニターの映像を直撮りする必要が良くあります。こうした時に非常に便利な操作系でした。パナソニックの家電メーカーとしての良さが出ていました。

ファインダーが液晶だったことも良かったですね。今から思えば解像度が低く、だいたいの構図を決めるくらいにしか役立ちませんでしたが、なんといっても「見たまま映る」点が秀逸でした(この点は後に光学式ファインダーを持つデジタル一眼レフカメラを買って再認識しました)。光学式ファインダーの場合、ファンダー像と実際の撮影像が視野角やレンズの特性などで異なることがよくあります。特にプロジェクターの投影画像を斜め前から撮影する時などに、この歪みが顕著に出ます。光学式ファインダーが何でも一番ではないんだなと学びました。

後もう一つ、今さらといわれそうですが、このカメラで露出補正について学びました。そうなんです。それまで露出補正ってカメラ側で使ったことがなかったんです! 銀塩カメラ時代はモノクロのネガフィルム中心で、多少のずれはデザイナーさんが写真をスキャンした後、Photoshopでやってくれました。フリーになってからは自分で修正するようになりましたが、撮影時から露出補正を意識することはありませんでした。

それがこのカメラを新宿ヨドバシカメラに修理に出して、受け取りの帰りにたまたま露出補正をして何点か西口の繁華街を撮ったところ(オートブラケットのテスト撮影だったのかな……)、夕暮れ時の光に居酒屋のネオンがプラスの露出補正で良い感じに浮かび上がることに気づきまして、ビックリした記憶があります。もっとも当時のデジカメでは露出補正はメニューの奥底になっていて、直感的に使いづらかったため、あまり気がつかなかったんですよね。それがFZ-20では非常に使いやすかった。そこも含めていろいろなことを教えてもらいました。

もっとも、駄目な部分もたくさんありました。一番のウィークポイントはホットシューで、ニコンのストロボをそのままつけて使っていたところ(SB-28)、すぐにぐらぐらになってしまいました。2回くらい修理に出した覚えがあります。もっとも、それもパナソニック純正のストロボをつけると、とたんに壊れなくなったのですが……。ストロボでいえば調光調節がダイアル式で直感的にできたのも良かったですね。ただし、映像素子が1/2.5インチという豆粒のようなCCDでしたから、薄暗いところではノイジーにならざるを得ず、ストロボを炊いてもきれいに写らないという限界はありました。レリーズラグの長さも多少改善されたとはいえ、まだまだ問題でした。

決定的だったのは後継機種のFZ-30で開放絞り値が全域F2.8ではなくなり、サイズも前後に長くなって、コンパクトさが薄れてしまったことでした。時は2008年で、デジタル一眼レフが本格的な普及期に入っていました。先の商品レビューでは「まだまだ使い続けることになりそうだ」などと書いておきながら、その半年後にニコンD80を購入することになります。 

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RICOH Caplio PR30

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COOLPIX 950は良いカメラでしたが、いかんせん機動力にかけました。特にその頃から増えてきた講演取材をスムーズに行う上でスライド写真を手軽に取れる、よりコンパクトなカメラが必要でした。そこで買ったのがCaplio PR30です。2000年の年末にアキバの露天商で中古を衝動買いしました。価格は一万円で、中古の市場相場とほぼ同じだったことを後から知り、驚きました。

Caplioフィルムカメラで一斉を風靡し、後に高級コンパクトデジカメでも人気を誇るGRシリーズを生み出したリコーのデジカメブランドです。軍艦部にある設定ダイアルの内側にシャッターボタンを入れた独特のシャッターユニットが特徴で、PR30は代表的な機種の一つでした。AFの他にピント固定のスナップモードがあり、うまく使えばリレーズラグ問題が解決するかもという期待がありました。

結果はボロボロでした。電源をオンにしてから撮影可能になるまでの時間が遅かったのです。スイッチを入れると半歩遅れてウィーンとレンズがせり出し、ようやく撮影可能になるという感じです。しかも電源を入れ直すたびにズームレンズの位置が広角側に戻ってしまい、そこからズームして撮影する仕様だったので、さらに撮影が遅れました。かといって電源を入れっぱなしにしておくと、すぐにバッテリー切れをおこす始末。何度かスライドを取り逃がして、「これは講演取材では使えない」とサジを投げました。

室内のスナップ撮影も内蔵ストロボでは光量が不足気味でした。ISO800で撮影した写真は、たとえストロボを焚いてもガビガビでした。バッテリーは単三乾電池2本で、当時はまだエネループなどがなかったため、チャージも遅く、すぐに消耗しました。そんなこんなでプライベートではそこそこ使ったものの、次第にお役御免になっていきました。

こんな風に衝動買いで買って、使わなくなるというダメな買い物の典型例であり、不幸なカメラでしたが、その実力を見直す機会がありました。2009年にサイクリングの際、「落として壊れても惜しくない」という理由で持っていったところ、思わずシャープな絵が撮れてビックリさせられたのです。JPGの撮って出しでは微妙でしたが、フォトレタッチソフトで修正すると、土手の緑や青空のヌケが素晴らしく、感心させられました(さすがに逆光ではメタメタでしたが...)。

また当時のデジカメは液晶の輝度が低く、日差しが強いとほとんど見えなくなったので、多くの機種で光学ファインダーがついていました。本機にも申し訳程度の光学ファインダーがあり、まるで井戸の底を覗くようなものでしたが、あるとないとでは大違いでした。液晶をオフにしたままでもファインダーを覗けば撮影できたので、バッテリーの節約になったのです。

なんというか、カメラというのは戸外でたっぷりとした光量のもと、順光で撮るものなんですよね、やっぱり。そんな基本を思い知らされました。今でもスキー場に持っていったりすると良さそうな気がします。

 

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NIKON COOLPIX950

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フリーになって困ったのは写真でした。サラリーマン時代はフィルムが使い放題で(雑誌がモノクロだったので、よくトライXの安売りを買ってきて使ってました)、撮影済みのフィルムはプロラボに現像と同時プリントを頼めば良く、経費も会社持ちでした(DTPの黎明期で、L版で焼いたプリントを民生用のスキャナでスキャンして、Photoshopで修正してQuarkExpressで組版)。しかし、フリーになるとそんな贅沢は許されません。Webの仕事が次第に増えてきて、速報性が求められる点でも銀塩カメラは不利でした。そこで前回も書いたように、new FM2とストロボと交換レンズ3本をヤフオクで売却して、それに少しお金を足してデジカメを買いました。ニコンのCOOLPIX950です。特にニコンに愛着はありませんでしたが、取材先でこのカメラを使っているライターや編集者をちらほら見かけたのが購入の決め手でした。

COOLPIX950は1999年(フリーになった前年ですね!)にニコンが発売し、高く評価された一台です。定価は125,000円で、今となっては結構な性能のデジタル一眼レフがレンズ付きで買えてしまう金額です。たしかヤフオクで98000円くらいで買った記憶があります。221万画素のCCDにスピンドル式のボディが特徴的で、マグネシウム合金の手触りがずしりとした重みと相まって高級感を醸し出していました。筐体を回転させれば容積が大きいものの、レンガのように平べったくなるので、カバンに入れやすい点もポイントが高かったです。レンズのズームは3倍で、35mmフィルム換算で38mm~115mm。バッテリーは単4電池が4本。マクロに強い点も売りでしたが、残念ながら当時の自分の仕事はイベント取材が中心で、性能を生かし切るまでには行きませんでした。

このカメラはE3やGDCをはじめ、世界中の取材に持っていきました。2000年から2004年まで、基本的にこれ一台で仕事をしていたからです。もっとも、所詮はコンデジなので性能不足が目につき、お金を貯めてオプションパーツを買い足していきました。外部ストロボ(SB28)とフレーム、ワイコン、テレコンなどです。これで画角が28mmから210mmまでカバーできるようになりました。写真はワイコンをつけたところで、広角側が広がったことでイベント取材がやりやすくなりました。もっとも、すべて取り付けると結構なサイズとなり、これを首にかけてE3やGDC会場を歩き回るのは、けっこう難儀でした。多面式筆箱とかロケットペンシルとか、昭和な匂いがするデザインでした。

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映像素子は1/2サイズのCCDで色味はコテコテ系です。レンズがいいのか、けっこう細部までクッキリと映ります。シャッタースピードは8~1/750秒で連写速度は秒間2コマと、このあたりは銀塩カメラと比べるよしもありません。それよりも当時は撮影してすぐにPCに取り込み、メールで送れる利便性の方が重要でした。また、フラッシュがTTL調光に対応しており、難しいことを考えなくてもフラッシュモードにしてシャッターボタンを押せば、だいたいにおいて適正露出になるのも(個人的には)革命的でした。そのうえ、ちゃんと撮れているか液晶モニタで確認できるんですよ。うっかり撮影中に裏蓋をあけてしまい、フィルムを感光させてしまう恐れもなくなりました。トータルで見てメリットがデメリットを大いに上回っていました。

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他にスイバル式の長所として、カメラをおへその前あたりに持ち、下を向いて液晶を見ながら写真が撮れる点がありました。ちょうど二眼レフのような撮影スタイルです。しかもシャッター音を消すことができたので、周りから見ると写真を撮っているのか、撮った写真を確認しているのか、判断がつきにくい点がポイントでした。つまりスナップ写真に最適だったのです。ローアングルから撮る写真は新鮮でしたから、フィルム代や現像代が無料になったのを良いことに、パシャパシャと撮っていました。スイバル式のコンセプトは熱を発するバッテリーと映像素子の距離を稼ぐところから生まれたといいますが、撮影スタイルにも影響を及ぼす、優れたアイディアだったように思います。

もっとも、当時からいろいろと泣かされました。最大の難点はシャッターボタンを押してからシャッターが実際に降りる、いわゆるリレーズラグが非常に大きいことでした。体感で半テンポずれたのです。ブツ撮りなら問題なくても、イベント取材で講演中の人の写真を撮ろうとすると、この差は致命的でした。顔がその人っぽく写らないんですよ。手ぶれ補正機能がないのも厳しかったですね。フラッシュを炊いて手ぶれを防ごうとしても、リレーズラグのため変な顔に映ってしまうので……。できるだけ相手の動きを先読みして、タイミングを予測して撮影する必要がありました。また、乾電池のカバーの爪が壊れやすい点も難点でした。ニコンのサービスセンターに持ち込むと、修理費がべらぼうに高く泣かされました。これは設計ミスだろうと感じたものでした。他に一度、アメリカで大リーグを見に行って、駐車場で落としてシャッターユニットを壊してしまい、修理したことがありました。なんだかんだで、金食い虫でしたね……。

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けっきょくオプションパーツを使うとサイズが大きくなりすぎるのと、手ぶれ補正機能がないこと、望遠が最大200mm前後までしか使えないことなどから、次第に使わなくなっていきました。それでも初めて本格的に使ったデジカメなので、愛着がある一台です。今ではほとんど使うこともありませんが、なんとなく手放せないまま、物入れに眠っています。

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CONTAX T2

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new FM2を買ってすぐ、大型対談企画があり、編集補助を命じられたので、喜び勇んでカメラを持参しました。結果はピンボケの嵐でした。観念してメガネを買いました。すっかり近視になっていたのです。その後すぐ、同じような取材があり、やっぱりピンボケになってしまいました。メガネだけの問題ではありませんでした。そこでボーナスの残りをはたいて買ったのが中古のContax T2でした。それ以来、取材では両方のカメラで撮影するようになりました。これでぐっと失敗率が減りました。

T2はバブル経済の絶頂期に発売され、高級コンパクトカメラというジャンルを切り開いた記念碑的なカメラです。チタン製のボディ、サファイアガラスを用いたファインダー、Carl Zeiss SONNAR T* 38mm F2.8レンズなど、カメラを所有して触る喜びを提供してくれます。定価が12万円でしたが、当時の中古価格は確か5万円くらいでした。同じ中古でもnew FM2より高かったのを覚えています。まあ、レンズ込みだと同じくらいなんですが……

それまでコンパクトカメラといえば「安かろう悪かろう」というイメージでしたが、T2はまったく違いました。印刷物のクオリティに耐えうる写真が、比較的誰でも手軽にとれました。絞り優先オートも直感的で分かりやすいものでした。もっとも構図によっては中抜けしやすく、AFロックの効果が分かりにくいのが玉に瑕でしたが……。とはいえ、小型で軽量で高性能なので、後輩にどんどん貸して使わせました。カメラ初心者にとってnew FM2は荷が重いと感じたからです。その考えは正解でした。

ただ、当時は軽いボケボケ病(背景がぼけた写真をありがたがる)にかかっていたので、パンフォーカス気味にとれるT2の良さがイマイチよくわかりませんでした。「絞りが開放だと緩め、ちょっと絞るとキリリとシャープになる」と言われても、実際ピンと来る絵がとれませんでした。それよりもnew FM2で50mmや135mmのレンズを使い、ボケを生かした写真を撮る方がわかりやすかったですからね……

もっとも愛着はひとしおだったので、new FM2を売却した今でも、T2は手元に残っています。生まれた初めてポジフィルムで撮影したのも、このカメラでした。山歩きにもっていって、地面に落としてフィルム抑え板が外れましたが、まだギリギリ修理がききました。今でも思い出したように持ち出して撮影しています。もう買って20年以上になりますが、まだまだ現役で活躍中。うちで最古参のカメラになっています。

 

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NIKON new FM2

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T80亡き後、しばらくカメラ不在の日々が続きました。そのまま一生を終えるはずだったのが、会社に入って一変しました。曲がりなりにも出版社に入り、編集者になってしまったからです。カメラマンを使う余力がない零細編集部だったので、自分で会社のカメラを使って取材する日々が続きました。

そのうちに自分でも欲しくなって、会社の備品カメラと同じものを買いました。それがニコンのnew FM2です。カメラ好きの方ならおわかりかと思いますが、写真学校の学生御用達のフルマニュアル機です。当時は写植時代の終焉で、編集者がゲームの画面をカメラで直接撮影しており、フルマニュアル機が重宝されていたのでした。

すでにT80で撃沈したキヤノンがEOSで反転攻勢を強めており、AFカメラが普及期に入っていました。しかし、T80のシーンセレクトしかできなかった仕様にもどかしさを感じていたため、フルマニュアル機はかえって好都合でした。もっとも、おかげで失敗しまくりの大変な目にあうんですが……。

たしか入社二年目の夏のボーナスで本体とストロボを中古で買い、レンズはニッコールレンズで50mmのf1.2を新品で買いました。その後135mm、28mm、モータードライブと買いそろえていきました。先輩も同時期にF3を買い、羨ましかったですね。ちなみに上司はFE2を持っていました。この影響で会社の備品がニコンになったのでした。

当時仕事で撮影する写真は大半が取材時のポートレート撮影でした。先方の会社にお邪魔して、会議室などでパシャリとやるわけです。当然そのままでは光量が不足するのでストロボ撮影となります。しかしnew FM2はTTL調光に非対応でしたので、フィルムのISO値と被写体との距離から適正絞りをストロボのダイアルで調べて、自分で設定する必要がありました。これが非常に苦手でした。

というのも当時、モノの本には「ポートレートは絞りを開けて被写界深度を浅くするとバックがぼけて云々」と書かれていたのですね。

ところが会議室で写真とを撮ると、被写体までの距離が1.5~2mくらいになります。シャッタースピードはnew FM2だと1/250なので、IOS値にもよりますが、だいたい絞りをf16くらいまで絞らないといけない。そうすると当然、被写界深度が深くなってパンフォーカスになる。それが嫌だから絞りを開くと、今度は真っ白な写真になるわけです。

当時はDTPが印刷業界で始まったばかりで、Photoshopもあまり普及していませんでした。再撮影なども時間的に難しかったので、写真に失敗したら誌面が文字ばっかりになるわけです。幸いにもモノクロの雑誌で色味は関係ありませんでした。ストロボで失敗したくなかったので、ほとんどストロボを使わずに撮ってましたね……。

だいたいISO400で、50mmのレンズで、シャッタースピードは1/60で、f1.4とかで撮ってました。フィルムはモノクロでした。そうすると希に、背景がきれいにぼけて、すごく良い感じの写真が撮れたりするわけです。それを見て「やっぱりこれだよなー!」とひとりごちたりする。そんな風に写真にはまっていきました。

new FM2は国内外でホントにいろんな所に持っていきました。初めての海外取材で台湾に持っていって上司から借りたストロボを落として壊して自費弁済したのも懐かしい思い出です。あとフランスとかスペインとか。国内だと佐渡島とか仙台とか金沢とか。いろんなことを学ばせてもらいました。そのぶん失敗も数かぎりなくしましたけど……。

ホントはずっと持っていたかったんですが、フリーになった時に背に腹はかえられずヤフオクで売却しました。本体とレンズ3本とストロボとカメラバックで5万5000円で売れましたが、後から物言いがついて5000円返金することになり、5万円になりました。機会があれば買い直したいんですが……。

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写真は1998年~1999年ごろの千葉マリンスタジアムです。この頃よくロッテの応援に行っていました。初芝や小宮山といったベテラン勢に加えて、小坂や黒木やサブローや清水が現役で黄金時代を予感させました……。

 

 

 

Nikon NewFM2 ブラック

Nikon NewFM2 ブラック

 

 

 

CANON T80アートロボ

なんだか気がつけばいろいろカメラが増えてしまったので、昔のことを思い出しながら、それぞれの思い出について書いてみることにします。

64歳で他界した父親は貧乏性なのに(生涯、軽自動車に乗っていた)見栄っ張りなところがありました。それまで写真なんて「写ルンです」に毛の生えた程度のプラカメ専門だったのに、ある日いきなりAF一眼レフを買ってきて周囲を驚かせました。

それがキヤノンT80「オートボーイ」。同僚がミノルタα7000を買ったのでうらやましくなり、社販で買ったそうです。本体とズーム2本とストロボのフルセットでした。おそらく15万円くらいしたはずです。高校生の時でした。後から考えれば普通にα7000で良かったんですが…

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ジーコジーコと迷いまくるAFと、シーンモードのみでシャッタースピードも絞りも設定できないという、まさに「ロボ」な仕様でした。しかし腐っても一眼レフであることに変わりはなく、それまでのプラカメとは段違いの出来映えに大興奮。

特に生まれて初めて撮った望遠レンズでのポートレート(祖母!)は「写真ってすごい!」と思わせるに十分なものでした。

このカメラはその後、修学旅行に野球応援にと大活躍しましたが、大学生の時にヨーロッパに貧乏旅行に行った時に持っていって盗まれてしまい、そのままになってしまいました。当時のことなのでネガなども全て捨ててしまっており、わずかに残っていたのが岩国基地の基地感謝祭のスナップのみ。1988年のことです。

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インテリ風のお爺ちゃんが見守る中、高射砲でたわむれる子供たち。時代ですね。

 

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昔のネガなので変色がはなはだしく、ざっと修正しましたがこの程度・・・

 

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生まれて初めて外国人がわんさかいる場所に行き、海外を肌身で感じました。

 

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今なら真正面できちんと撮るところですが、微妙に斜めっているところが残念。

 

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当時「ファントム無頼」という漫画が好きでした。これもノーズが微妙に見切れていて残念。

 

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基地の子供たちも今は本土に戻っていて、良いおじさん・おばさんなんでしょうね。

 

前述のようにT80ではシーンモードを選ぶだけで露出はカメラ任せだったので、手ぶれを避けるためにずっと「動体優先モード(的な何か)」で撮影していました。これが偶然にも絞りが浅く、ふわっとした写真を量産することにつながりました。

当時の安いプラカメは、ほとんどピントが無限大で絞りは固定(要は「写ルンです」と同じ)だったので、非常に新鮮でしたね…今でいう「コンデジからミラーレスにステップアップ」的な体験でした。

 

 

Canon T80 35-70mm付き

Canon T80 35-70mm付き

 

 

ファントム無頼 (1) (小学館文庫)

ファントム無頼 (1) (小学館文庫)