日々つれづれ2

はてなダイアリーから引っ越しさせました

SICKO

マイケル・ムーア監督の最新作「SICKO」を見てきました。アメリカの医療保障制度に鋭く迫ったバラエティ系ドキュメンタリーであります。内容は数々の映画サイトを見ていただくとして、基本的におもしろかったですよ。とはいえ内容如何というより、ムーア先生の功績はひとえに「ドキュメンタリー映画は金になる」ということをハリウッドに知らしめたところではないかと思います。まさに映画界のタッチ・ジェネレーションと言いましょうかW 「スーパーサイズ・ミー」とかフォロアーもいっぱい出てますしね。んでもって「ボーリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」「SICKO」と続けて見ながらムーア御大の露出度を比べてみると、けっこう面白かったりします。私見ですけど「ボーリング・フォー・コロンバイン」の時は、テレビで好評だった「バカでマヌケなアメリカ白人」の時とノリが同じで、自分のスクリーン上での露出度について、そんなに意識してなかったんじゃないかなーという気がします。ところが、これがオスカーを取ってしまったことで、ムーア先生も考えたんじゃないですかね。このまま同じ調子で露出していくと、すぐに観客に飽きられてしまうと。というわけで「華氏911」では、ポスターやチラシでは「ムーア印」が満載でしたけど、実際のスクリーン上では結構露出が控えめだったような気がします。これが個人的には物足りない気がしたモンでした。なんだかんだいってマイケル・ムーアの映画は彼の「主観視点」の映画ですからね。誰も公平性とか客観性なんて求めてないんです。彼の電波新聞的突撃ルポというか、「背中越しの視点」を疑似体験したいわけです。同じような批判はアメリカでもあったんじゃないでしょうか。というわけで「SICKO」では、話がアメリカ国内のシリアスな内容の時は極力出てこない。カナダやイギリスやフランスやキューバの話になると、ムーア先生がいっぱいスクリーンに出てくる。これで上手い具合にメリハリをつけようとしたのではないかと思います。実際メリハリがついてますし。というか、あの巨漢がスクリーンに出てくると、シリアスな話が中和されてしまうんですよね。このへんよく考えてるなあと思いました。あとマイケル・ムーアといえばオスカーのスピーチでの「ブッシュよ恥を知れ」ですが、けっこうタキシードが似合ってるんですよね。なんだかんだいって、ムーア先生もアングロサクソンというか、タキシード文化の人なんだなあと思いました。外国人が紋付き袴を着ても似合わないように、日本人が着ても似合わいませんよねタキシードって。